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2006/1/13 | 18番岩木観音、番外向町観音、32番太郎田観音、33番庭月観音アップ完了! |
2005/9/18 | 1番若松観音アップ |
2005/8/21 | 31番富沢観音アップ |
2005/7/28 | 30番丹生観音アップ |
GPS情報(位置情報)※提供開始。更新ページより随時追加中!
ようこそ平成最上巡礼記のページへ!
このサイトは、山形県の最上三十三観音霊場とその巡礼の紹介です。
Photo:松尾観音
はじめに
このサイトは最上三十三観音霊場の個人巡礼の記録です。記述内容は一般の巡礼ガイドと重なるところもあれば、実際に参拝しないとわからない事、また個人的な感想も含まれております。初めて巡礼される方はガイドと併用して読まれると何かの役にたつ情報があるかもしれません。またこのサイト内の情報は何ら無謬性を保証するものではありません。あくまで自己責任の範囲でご使用ください(蛇足ながら念のため申し添えます)。
初めて訪れる方の為に参考となるガイド、サイト
・ガイドブック:『最上観音巡礼』 平幡良雄氏著 満願寺教化部 ・・・札所で買い求められます。千葉県銚子の満願寺が発行元。巡礼ガイドブックのスタンダードといっていいでしょう。
・最上三十三カ所観音別当会サイト :http://www.mogami33.com/ (公式ホームページ)
最上霊場の縁起について(基礎編)・・・一般に次のようにいわれているようです。
斯波兼頼より五代目にあたる最上頼宗に幼名光姫というひとりの娘があった。乳母信夫は観音信仰者で姉は安養尼とよばれる尼僧だった。光姫は幼少から宗教的な環境で育ったが、大変な美貌でもあり世間で評判であった。
18歳のとき京都の右衛門佐頼を婿養子として迎えたが、最上鮭川の横川大膳国景は美しい光姫に慕情を抱きこれをよしとしなかった。 大膳国景は光姫が平清水に参拝したときや、高湯に湯治にでかけたときに光姫の略奪を企てたが失敗した。略奪計画により大膳は処刑されたが、自分を発端として起こった出来事に宗教的環境でそだった光姫は深く哀しみ、出家した。
光姫は若松観音から庭月観音の道を観音菩薩の化身に教示され修行を満願し心は清らかになっていった。結願の庭月観音は横川大膳国景の領地でもあり、光姫は不思議な因縁を感じその冥福を祈った。
その後、光姫は山寺の近くに住む頼宗の家臣菊地式部のところに落ち着いた。ところが光姫は妊娠しており男子を出産した。子供は里子にだされるが、頼宗の家臣荒王重虎が発見し、光姫は子供と共に城に引き戻された。この子が最上六代最上義春で若松観音の名前をとって若松君とよばれた。
この光姫の観音巡礼が世間にひろがった。
※斯波-最上家は戦国時代以降の山形城主
※若松観音は現在の最上霊場一番札所
私と最上霊場
インターネットの進展はグローバリズムを加速させ、世界をより顕在的意識の世界で1つに繋げようとしています。この「同一次元での情報の共有」は有史以来かつてなかったことでしょう。また近代化とは物質文明と世俗化の流れでもあります。物質的な豊かさと享楽を永続させようと拡大再生産される経済の流れはグローバルなWebネットワークとのシナジー効果と相まってとどまるところをしりません。圧倒的な勢いで押し寄せてくる物質文明の豊かさは魔的な側面をもっています。もはや誰もとめられないのかもしれません。
私は20世紀末に急速に加速したこれらの一連の流れと日本の構造変革の中で、東洋の精神性を遡行する縁を得ました。21世紀に入り郷里山形に戻り、観音霊場を巡る機縁を得たことは偶然以上の力が働いている事を感じています。これらを背景に私にとって霊場行脚は東洋と日本人の精神性と魂を再確認する意味をもっていあます。私自身未だ言葉に纏められないところも多くコンテンツは必ずしも的を得たものとはなっていませんが、ここに霊場行脚の記録を残しておく意味で当サイトを開設しております。
1.行脚の記録
since 2003/02/06
このサイトの転載、再配布、改変等を禁じます。
mogami@morobito.com
きたはち
※GPS計測情報について
現在、au EZナビウオーク、国土地理院ウオッちず(試験公開)の情報を付与しています。
計測機器について:一般に市販されているauの携帯電話を使用し計測しております。計測上の誤差や作業プロセスでの錯誤があるかもしれません。
au EZナビウオークのURLおよび二次元バーコードはNTTドコモの携帯電話でも利用できるようです。
※2 計測日現在の環境で携帯電話が圏外の地域は計測しておりません。